え~40代ロック好きには有名なジャケットなモンで”何が書いてあるんだろう~なぁ~”と興味をそそったかと思います。
最近バンドでスタジオに入ってかの名曲「OnlyYouCanRockMe」をコピーして合わせましたんですが、クルマで何度も聞くうちに”はてな?”、”どっかで聞いたような”と言うわけです。
というか、先日のあざみ野祭りで”矢沢永吉”そっくりさんバンドが最後に演奏した曲「雨上がりの夜空に」が「Only~」聞いているうちに浮かんで来まして、そうかぁ~そうだったのかぁ~と。
ただ具体的に”ここだ!”と分かり易い指摘場所がなく、載せようかどうしようかと迷って、なんとなく検索サイト探したら、あらまぁ~もっと似てるパクリ曲が!。
コレ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=8q4K6xoCPfM
ジャケはコレ
モット・ザ・フープルですか。イアン・ハンター&ミック・ラルフスと来ましたか。
確かにコッチの方がにてる。
でも、「Only~」が似てるって人もチラホラ。
良かったら聞いてくださいな。
http://www.youtube.com/watch?v=PICJ3aRN4-o&feature=fvwrel
アルバムはコレね。
そうかぁ~それで間奏に”カウベル”入ったのかぁ。(すみません、ある特定の方向けのコメントです。)
更新日時 : 2012年09月04日 | この記事へのリンク :
え~先日に続いて夏休み中のF-1ネタと言うことで、過去の記憶に残るレーサーその2です。
実は前回のブランビラさんと記録上の共通点があります。それもこの二人以外には存在しない共通点です。(詳しくは後で)
70年代Fー1においてこの方も欠かせない顔です。
ブランビラさんもそうですが、F-1で顕著な成績残せなくても他のカテゴリーではチャンピオンに匹敵する活躍をしてまして、ツーリングカー、スポーツカーでは多くの勝利を飾っております。
とは言え、あまたのF-1ドライバーの大半が未勝利(日本人も全て)の中で1勝でもできたらそれはそれで素晴らしいことかと思います。
この方、1975年に最初で最後の優勝をしております。ただ、レースが事故で途中中断して走行距離が半分以下だったので、点数が半分。どこかで聞いた話だなぁと思った方、前回の話をよく覚えてらっしゃる。ブランピラさんも同じなんですねぇ。1975年に生涯唯一のF-1GP優勝を飾るも点数半分。こんな共通点他には居ません。だいたい優勝する実力がある人はたった1勝で終わらないのが普通かと思うんですよ。(もちろん、先ほどのお二人が実力がないと言っては居ませんが)つまり1勝で終わる人って珍しい。それでもって個性派じゃないかと。
70年代に生涯1勝で終わった方を思いだすと
ピーター・ゲシン・・・・1971年イタリヤ~生涯獲得ポイント11点の内、この時の優勝が9点ですからあとは2点のみってのはいかにも”まぐれ”っぽいですが、この時の記録としてレース平均速度242km/hは以後32年間更新されず、1位と2位の差0.01秒差、1位から5位まで0.6秒差の歴史に残るレースでした。F-5000と言うフォーミュラーレースで活躍、F-1優勝の4年後の日本GP(F-2000で行われた当時の国内最高峰レース)に来日して出場したものの振るわず。昨年亡くなったんですよねぇ~。プレイ・ボーイとしても有名。この人も記憶に残る個性派ですな。
J.P.ベルトワーズ・・・・1972年モナコ~60年代から活躍も、色々ありましたてキャリアの下り坂かなって頃の雨のモナコでのぶっちぎりでした。当時のフランス人ドライバーではNo.1かと。スポーツカーレースでも活躍。二輪からの転向でやはり異彩を放つ個性派かと。
F.セベール・・・・1971年アメリカ~2年後の事故がなければ1勝で終わらなかったはず。未来の世界チャンピオンと言われた。
カルロス・パーチェ・・・・1975年ブラジル~同じく2年後の事故がなければ・・・。
の他は先の二人にしか居ない。
マスは在籍時代チャンピオンを2度も排出したマクラーレンにいて通算1勝ですから、まあ~ナンバー・ツーがポジションだったんだろうかと思います。
しかしながら、ラウダの事故で有名な1976年ニュルブルクリンクのレースでは、タイヤの読みがずばり当たってぶっちぎりでトップを走っていたのにラウダが事故って再レースになってしまい、地元での優勝をし損なったとか、惜しいレースがいくつかあったかと思います。
がっしりした体躯は屈強なスポーツマンって感じで、どちらかと言うとなよっとしたドライバーが多いF-1レーサーの中で目立っておりました。
その後の走らないマシン~アローズ~でもパトレーセ(F-1通算6勝)といい勝負したり、実力はありそうなのにポカが多いとか。まあ~F-1に限ったことなんで、ポルシェでのイクスとのコンビ、メルセデスのCカーで活躍など、F-1以外では素晴らしい成果をあげたかと思います。また、かのシューマッハーにメルセデス時代レースのいろはを教えた先生としても有名。
これは唯一の優勝を飾った時のショットです。背の高いインダクションボックスが印象的です。
更新日時 : 2012年08月07日 | この記事へのリンク :
さてさて、F-1GPも夏休みに入りまして、ネタが無いモンで過去の回想でもしようかと。
今年は、かのジル・ヴィルニューブ大先生がお亡くなりになられて30周年だそうで、書こうと思えばいくらでも書けるんですが、はてさて何から書いて良いものか。
思うに、ジル大先生の話になると、レース界におけるF-1世界チャンピオンの意義って何だろうと思うというか、そのチャンピオンになっていないジル大先生が、あまたの世界チャンピオンよりも今だに多くの人の記憶に残るレーサーであるという事実があまりに重く、またあまりに多いエピソードがどれをとっても面白すぎる訳で、気合が入らないと「やっぱ難しいのう」と成るわけですな。
そこで、その他の人にご登場お願いすることに。
ヴィットリオ・ブランビラさんです。
ゴツイ顔で「モンツァ・ゴリラ」と呼ばれておりましたが、70年代のF-1には欠かせない顔(顔が重要ではなく、走りを含めたキャラクター)かと思います。
言うまでもなく、イタリアンでして、当時はメルツァリオさんとベテラン・イタリアン・コンビで異彩を放っていたかと。
”Bata”と言うイタリアの工具メーカーがバックについてF-1参戦となりましたが、マーチでの活躍が思い出されます。マーチは元々がコンストラクター(所謂生産者ですな。)的発想でF-1の世界に鳴り物入りで登場したチームで、他のチームにも自分たちのマシンを売ると言う特異なキャラを持ち、下位レースのF-2,F-3ではBMWと組んで売ったマシンが大ヒット!とF-1以外では80年代にかけて大成功した製作(コンストラクター)社であります。そのマーチがブランビラさんスポンサー込でチームに迎えたのが1974年。この年、6位入賞の1ポイントだけだったもんで、マーチはF-1GPから撤退。・・・・理由として考えられるのは、下位カテゴリーのF-2,F-3で成功していたので商売に本腰入っちゃったのと、F-1マシンもF-2,F-3の延長だった(生産性が考慮される)。
で、1975年は”bata"がカネ出してプライベート参加。トコロが、コレが良く走っちゃって、PPは取るわ、優勝するわでさあ大変。それが、この方ブランビラさんの活躍だったわけですな。理由としては、1台体制でチームの機動性が高まったとか、基本性能は高いマシンだったとか。(でも、昨年のマシンで基本的な改良は無しでこの結果ですから。なんとものどかな時代)ただ、予選は速くても決勝で最後まで走ることは少なかったかと思います。優勝したレースも豪雨で全走行距離の半分も走っていない。
雨では滅法速いとの評判通りの雨の優勝でしたが、彼の名声を高めたのが、チェッカーフラッグを受けた直後のクラッシュ。なんと嬉しさのあまり両手を上げてハンドル操作を誤ったとか。その後の写真がコレ。
こんな人いませんわ、他に。実に素晴らしい。
その走りは豪快との事で、無骨なマーチとの相性もバッチリだったんでは無いでしょうか。この年、スポーツカーノーズ(フロントにウイングがない。)は少数派。フロントのダウンフォース不足=強アンダーステアで振り回す走りが向いている。
レースキャリアが2輪からで、その後4輪に転向したしたこともあって、この1975年で御年38歳。この年限りでグラハム・ヒルが引退したこともあって、翌年からは最年長F-1ドライバーとなる。
結局、F-1ではこの優勝が最初で最後。この活躍で翌年はワークマーチが復活することに。雨の日本GP(F-1イン・ジャパン)でも活躍(ほぼビリから猛追して1位に並んだけれどスピン)。
1977年からサーティースに移籍して、性能の劣るクルマながらいぶし銀の走りで幾つかの入賞を果たす。
この年の世界スポーツカー選手権ではメルツァリオと共にワークス・アルファロメオのティーポ33でシリーズを席巻(アルファ以外にプロトタイプのメーカー参戦無し、アルファ運動会と呼ばれたが、メルツァリオとの勝負は面白かったらしい。)
翌年は、地元モンツアでのピーターソンの悲劇に巻き込まれ(意識不明の重体)重症を負ってレースから遠ざかるも、アルファロメオのF-1復帰に協力を依頼され尽力する。そのアルファF-1で数レース出走するも結果が出ずに引退。
マシンの性能差が少なかったこの時代、雨が降れば勝てると言われた(事実勝った)個性派は実に印象深いですなぁ。
更新日時 : 2012年08月05日 | この記事へのリンク :
このところ日本の作品を取り上げてばかりいますが、今回も日本を代表するアーティスト、ユーミンこと松任谷由実さんの「時のないホテル」です。
まあ~毎度ですが、あまりに有名な作品であります。そこはホレ、このブログですから、洋楽FANがな~るほどと(思ってくれれば嬉しい)なるネタをご紹介。
森川、難波は別として個人的琴線に触れるメロが殊の外多いのがユーミンです。と言っても80年代までですが・・・・。
で、個人的にですが、ユーミンのアルバムの中で(80年代までですが)非の打ち所が無い傑作と思うアルバムが3枚ありまして、その内の一つがコレ。あとはデビュー作の「ひこうき雲」と「ノー・サイド」。で、それぞれの傑作の前後のアルバムもかなりの完成度があります。要するに山が3つあってその頂きをピークとして山成りに(個人的好みの高低ある)作品が並んでいると思っています。
1980年に発表されたこの作品の意義というか、作者の意図するところは実に興味深いです。
混乱の70年代を経て新たなる時代の80年代は日本においてはバブル経済に向かっての発展のスタート。洋楽的にはパンクに代表される既存旧来の音楽へのアンチテーゼの後を受けて暗くて重い音楽の排除の動きに加速がかかったかと思います。(テクノロジー的にもバンドサウンドから宅録~リズムマシン、キーボードの進化)。まさに軽チャーショック。軽薄短小がもてはやされる時代。ノー天気バカっぽい軽いノリが蔓延。行き着く先はバブル崩壊とヒップホップ&オルタナ(メロ軽視ダークな退廃的サウンド)の支配する全米チャート。
そんな時代に発表したあまりにシリアスでメッセージ色の強いアルバムです。ラヴソングも全て悲しい話。「時のないホテル」は異国の戦争を描いた作品、同様に「コンパートメント」「水の影」は自殺や人生がテーマ。
ハードロックやソウルと違って固定ファンが居ないと言われるポップスの世界で時代に「No」と言うのは勇気がいる事かと思いますが、すでにトップ・アーティストの地位に居たから可能だったのかもしれません。また、時代の移り変わりを危惧する姿勢は自分自身の為でもあり、啓蒙する使命を負っていたとも言えます。
当時の軽チャーに染まっていた世間はどう受け止めたか分かりませんが、世界は危惧した通りになったのは見事としか言いようがありません。
さてさて、本題の洋楽ネタですな。まずは「ホテル・カリフォルニア」。ホテルつながりですか?と言われそうですが、ホテル・カリフォルニアの歌詞に”YouCanNeverLeave”とあります。「時ないホテル」には”出ては行けない”とあります。ともに最後の歌詞です。つまりどちらももう”このホテルからは出ていくことはできない”。ホテル=国ということで、つまりは閉塞感。生き詰まった行政、先行き不安ってことでしょうか。「ホテル・カリフォルニア」から4年後の「時ないホテル」です。
次に「グランドホテル」。また、ホテルつながりですか?と言われますよね~。今度はプロコル・ハルム(”青い影”で有名な英国のグループ)です。ユーミンが大好きなミュージシャンです。プロコル・ハルム自体”ミュージシャンズ、ミュージシャン”と言われて、要は一般よりもアーティストに好かれるタイプと言うことです。
そのプロコル・ハルムの代表作に「グランドホテル」ってのがあります。そのタイトルソング聞いてください。
http://www.youtube.com/watch?v=9sJR4KzqSoo
「時ないホテル」の一曲目”セシルの週末”
http://www.youtube.com/watch?v=GmjiBzrRPpw
わかりにくいかもしれませんが、イントロのメロをパクっています。(チョットの上に音数を割って増している)
このイントロも間違いなく”意図的”だと思うんですが、如何でしょう。
更新日時 : 2012年08月04日 | この記事へのリンク :
いや~素晴らしかった。楽しかった。タダでコレが見れるってのは、凄い。
久しぶりに”ライヴ”見に行きたくなりましたね~。感動ですわ。は~面白かった。たまプラーザにはこんなに凄い人達が住んでいるんですねぇ~。素晴らしい!!。
よかった、よかった。めでたしめでたし。
って終わったらなんだかわかりませんよね。ははっ。
コレですわ。
え~なになに「手数王Drummer菅沼孝三withSATOKO夢の親子共演」・・・夏祭りイベントプログラムより。
以前、このブログでもご紹介しましたが、菅沼さんは日本を代表するトップドラマーであります。個人的にはそんな偉い方がこんな近くで演奏してくれるなんてといった感じです。自分も趣味でタイコ叩いているもんで、どれだけ菅沼さんが素晴らしいかは重々承知しておりまして、正直神様ってレベルですわ。野球で例えるとイチローや松井に匹敵すると言っても過言ではありません。
その菅沼さんの娘さんがSATOKOさんでFUZZY CONTROL(ファジー・コントロール)と言うロックバンドのメンバーでもあります。今年、そのファジコンのギタリストであるJUONさんがドリカムの吉田美和さんとご結婚して一躍有名になったのは皆さんよくご存知かと思います。SATOKOさんもドリカムのツアーやTV出演のバックでドラムを叩いております。(あのドリカムのバックメンバーなんて凄くありませんか。)
で、驚いたことにFUZZY CONTROL(ファジー・コントロール)のJUONさん、BassのJOEさんも来場して演奏するという嬉しいハプニングが!。
右端でギター持っているのがJUONさん、左端でアンプの前に座っているのがJOEさん。(上記写真はサウンドチェック最中)
演目は以下です。
Dont you worry bout the thing (INCOGNITO):孝三さん
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=DJFgb_f5q4Y&feature=related
孝三さんドラム・ソロ
Sing、Sing、Sing(ベニーグッドマン):孝三さん&SATOKOさん親子共演
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=lTzP7ecGQiw&feature=related
SWEET RAIN SWEET HOME:FUZZY CONTROL
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=Cc3V64lfHAI
モナリザ:FUZZY CONTROL
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=aqNM6Uqg2mg
We'reAnAmericanBand:ジジーコントロール(SATOKOさんの代わりに孝三さんが参加したファジコン)
→当日「やろっか」と3人で決めていきなり本番。初めて合わせたとのこと。演奏し始めたらギターとベースがキーが違って中断。ベースに合わせることで決着。
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=lMsIrKjSM6Y&feature=related
BornToBeWild:ファジコン+孝三さん
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=eFa5mA3H_-A&feature=relmfu
楽しい時間とサインも貰って1日ハッピーでした。
更新日時 : 2012年07月29日 | この記事へのリンク :
え~もう20年も前のCDシングルになりますか。へ~もうそんな昔の話だとは歳を取るのは早いですね~。
久しぶりに友だちから近藤房之助さんの名前を聞いて思い出したのがコレ。
ヒットしたかと言うとそれほど売れた印象は無いのですが、YouTubeのコメント見ると良いコメントが多く、結構聞かれていたんだなぁと思います。まあ~それだけ印象に残る曲なんでしょう。
とりあえず聞いてみますか。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=WFbFBUZ-stQ
スタジオライブはコレ
http://www.youtube.com/watch?v=hNT-ue3R0hQ&feature=related
ちなみに現行CDでは近藤さんのBEST
織田さんのBest
に収録されております。
さすが織田さん良いメロ書きます。ノリノリでよく昔はカラオケで歌っていたのを思い出します。
この曲、洋楽FANの遊びココロをくすぐる仕掛けがありまして、一つはフィルムコリンズとE.W.&F.フィリップ・ベイリーの「EasyLover」。フレーズの間のキメのアクセントに同じパターン使われております。もう一つは歌詞に「FoolForYourLovin'」ってトコロがあるのですが、有名な同じタイトルの「FoolForYourLovin'」(もちろんホワイト・スネイク)のサビがちょこっと顔出します。曲に合わせて歌ってみるとよく分かるかと思います。
カラオケでも行くか。
P.S.織田さんソロヴァージョンも良いです。・・・最近の映像かな。本人も気に入っているんだよね~きっと。
http://www.youtube.com/watch?v=2xjmeUMeHAs&feature=related
更新日時 : 2012年07月22日 | この記事へのリンク :
こりゃまた、マイナーなCDだったりしますが、中身はそこらのメジャーなCDより遥かに素晴らしいモンで。
1988年に発売されて、長らく廃盤だったのが2008年に復刻。また廃盤→プレミアで値段は売価の倍か?。
なんで今頃ってことですが、YouTubeで発見してしまい、ちょこっと書きたくなった次第です。すっかり、忘れていたんですが、カルメン・マキさん参加なんですよ。で、このCDには入っていないんですが、「私は風」をLIVEで演っているんですね。それがYouTubeでアップされている。
いや~びっくりデスね。当時LIVE見に行けば良かった。まあ~まさかそれから8年後に自分のBandで「私は風」を演ることになろうとは夢にも思わなかったでしょうが、今思うと見とけば良かった。
「私は風」と言えば、カルメン・マキとOZですが、当時のOZより演奏力は”ゴメンねBand”かなり上です。
YouTubeはコレです。
http://www.youtube.com/watch?v=OcXNADdWx6I&feature=related
CDはコレ。
なんかただのおっさんですが、天下のベーシスト鳴瀬喜博さんであります。メンバーは言うまでもなく難波弘之(笑)、そして、そうる透、松本孝弘(Bzでブレイク前)、山田信夫、カルメン・マキとたいそう豪盛です。
実際ウルサイかというと、好みによるんでしょうが、ウルサイでしょうなぁ。私は全くウルサイとは思いません。むしろもっと演れって感じです。演奏がお達者な方々がアンサンブルを破錠させること無く好き勝手し放題音を鳴らしまくる(どなたも音数多い、ソロパート長い)Bandと言う感じでしょうか。難波さんもソロ長いっすよ~。ナルちょも「さあ始まるぞ~」って顔しているし、松本さんも「まだ演んの」って顔してます。
見とけば良かった。
更新日時 : 2012年07月15日 | この記事へのリンク :
夏って感じで暑い今日この頃ですが、爽やかな音楽というと産業ロックかと。
で、Journeyとか思い出すんですが、皆さん知っているのでまあこのブログで取り上げるのも芸がないので、よく似たBand:「TheStorm」をご紹介。
当時も今も「本家Journeyより(昔の)ジャーニーらしい」との評価が高いアルバムです。
まあ~それもそのはずというか、Bassのロス・ヴァロリーとKeyのグレッグ・ローリーは元Journey。しかし、この二人でJourneyになるかというと、普通?はてなって感じなんですが、ヴォーカルのケヴィン・チャルファントさんが素晴らしいモンで成り立っているかと。
なんでも現Journeyのオージェリーさんより上手いともっぱらの評判です。ケヴィンさん自身、自分でもそう思っているのか、Journeyのカバーアルバム出したりしています。(こちらも結構評判良いです。)
このアルバムは、当時(1995年)Burrn※の評価が高くて買ったんですが、当時輸入盤のみだったのにその売れ行きから国内盤が結構時間経ってから発売されました。このBandとしては2ndにあたりますが1stはインタースコープと言うメジャーからの配給がある小レーベルから出たものの思ったように売れなかったのか、さらにマイナーなレーベルからこのアルバムはリリースされています。それだけにBurnのレヴューがなかったら日本では陽の目を見なかったかも。
基本、バラード中心ですが、見事にJourneyしています。メロも良く一応捨て曲なし。今聞いても良いですね。
※「Burn」・・・言わずと知れたHM(ヘヴィメタル)業界紙。アルバム・レヴューの点数によってCDの売上が左右するほど影響がある。音楽業界では、影響力ある紙媒体の例えに使われる。例えば、マタニティのCDが発売される際に「たまひよ」って雑誌に広告が載ると「マタニティ界の”Burn”に広告出した」と言う事になります。
珍しくYouTubeのURL付けてみます。
http://www.youtube.com/watch?v=uJxzFVcTMMY
更新日時 : 2012年07月13日 | この記事へのリンク :
先日に続いてジョニーさんネタです。
遅ればせながらこんなCD見つけて買いました。
いや~こんなんやってたんですね~。当時は本州在住ではなかったんで、ホイホイ見に来れるわけではなかったんですが見たかったですね~。(1995年6月六本木ピットイン)
バックスバニーの再結成ですよ。スモーキー・メディスンの再結成も驚きましたが、バニーも再結成していたなんて。6日間に及ぶライヴでバニーの前のイエローやCharさんとのブルース・ナイトだとか、日替わりメニューで色々と。
他の参加メンバーは山岸潤史、森園勝敏、近藤房之助など凄いです。
全曲CD化して欲しいトコロですが・・・・。
見たかったなぁ~。
※「金子マリとバックスバニー」・・・・スモーキー・メディスン解散後、鳴瀬喜博と金子マリが結成したファンク・ロック・バンド。初期メンバーに難波弘之、途中からジョニー吉長が参加。金子マリのインパクトあるヴォーカルと卓越したテクニックを誇る演奏で当時他の追随を許さなかったと思われるグループ。特出したヒット曲なしに1979年頃消滅。アルバムは2枚CD化。
YouTubeありました。
http://www.youtube.com/watch?v=0UNvEsya_9k
更新日時 : 2012年07月01日 | この記事へのリンク :
見ましたよ~バレンシア。
アロンソの地元優勝は涙モノでしたが、いや~可夢偉惜しかった。
予選からして、イケるとかなり期待していたんですが、こうなるとは。さらに期待できるシルバーストンでグリッド降格でしょう。次を考えたらマッサとはもっと慎重に行くべきだったんじゃないかなぁ~。セナもぶつけてくる可能性高いかと思うんだけどねぇ~。
スタートが良くて、前が潰れなくてもそのまま走って4位だったとしてもペレスの表彰台レースより評価が上がるかと思うんですよ。つまり、運良く運んだレースよりも”横綱相撲”というか、真っ向勝負でそれなりの結果を出せるって事が凄いって、そういったレースが出来たんじゃないかと。
だからちょっと勿体無かったなぁと。なんとか出来たんじゃないかと思うんですよね。ロータスを追い詰める可夢偉を見たかったなぁ。
ただ、トラブルの発端はタイヤ交換にあったわけで、ある意味チームのミス。もうザウバー辞めた方がいいかもねぇ。
更新日時 : 2012年06月26日 | この記事へのリンク :