え~何と言うか、ホッとしたと言うか。
TV見てて壊れんなよ~って人事なのに”ハラハラ”してしまった。
正直、表彰台取れるとしたら鈴鹿だろうなぁとも思ってましたが、ダメだったらショックも大きいのでフリー走行から予選まで情報シャットアウトしていました。しかし友人が予選3位とメールくれたのでTV見ることにしました。
あとで知ったのですが、フリー走行13位からの予選3位ですから綱渡りですよねぇ~。もっとドキドキしたかもしれないので情報シャットアウトは正解だったかな。
それにしてもフリーからのジャンプアップは”そんなにもクルマが違ったんだ!”と驚かざるを得ません。今時のクルマはこんなにも繊細なんですねぇ。
今回の鈴鹿だけ見ると、なんでペレスがマクラーレン?と正直思いますが、運なんでしょうなぁ。まあ~それを言ってしまうと、今回の可夢偉の3位もバトンの降格が無ければ分からなかったしねぇ。ウエーバーの接触もしかり。
とは言え奇を衒わず、ガチンコ勝負で表彰台は可夢偉のなせる技であり、全く凄いとしか言えません。もちろん、今シーズンの可夢偉の戦い方は2位や3位狙いではなく優勝狙いであり、(それで)これまでの経緯があるので、鈴鹿での結果は当然、必然だったかもしれませんが、今回のレースの流れを見ているとその不屈の精神に感嘆するばかりです。ペレスの表彰台より遥かに感動ですな。
これからも可夢偉の戦い方は変わらないと思うので今シーズンの残りも表彰台は無いんじゃないかと思います。
惜しむらくは、ペレスのマクラーレン入りを見ても言えていることですが、下位チームに3年居てはトップチーム入りは無いと言う事です。
つまり、フロックではなくて実力で表彰台ゲットした事で、日本人F1ドライバーの結果としては一つステップアップしたわけです。その上は優勝しかない。それにはトップチームにはいるか、ベッテル並の実力をつけるしかないわけです。ということで、それは不可能なので、可夢偉の役割としては、ここまでじゃないかと思うんです。
それ以上、可夢偉に期待するのは酷だと思います。
まずはメデタシメデタシですね。

更新日時 : 2012年10月11日 | この記事へのリンク :
さてさて、記憶に残るF-1マシン。第一回はヘスケス308Bです。このマシンはたった一回ですが、このチーム唯一の勝利をあげたグランプリウィナーカーであります。
レーサーはかのジェームス・ハント。レース王国イギリスの大いなる期待を一身に受けていた新鋭。プレッシャーなど、どこ吹く風って感じで意に介さない大胆不敵な野郎。
おおっと脱線、クルマの話でした。
アレクサンダー・ヘスケス卿と言うお金持ちさんが、作ったプライベート・チームがヘスケス・レーシング。初年度は”市販車”マーチを買って参戦して、翌年からオリジナルマシン第一号308を作成して、翌々年にこのクルマを作ってで優勝と順調なサクセスストーリーですなぁ。
デザイナーはかのポッスルスウエイト博士。彼がF-1の世界に名前を轟かすことに成るクルマってことでもあります。
当時は今では”当たり前”のウイング・ノーズと今では”誰も知らない”スポーツカー・ノーズ(代表車は以前本ブログ「記憶に残るドライバー:ブランビラ」の回で取り上げたマーチ751)が混在しておりまして、このヘスケス308Bはスポーツカー・ノーズ+フロントイウングという画期的なアイディアを具現化したマシン。

いや~70年代ですなぁ。このショットはまさに唯一の優勝をとげたオランダGPの時かと思いますが、背の高いインダクションボックス、フロントタイヤへの空気抵抗を減らすせり上がりフロントノーズ、馬鹿でかいリヤタイア、弾丸ミラーなど懐かしいねぇ。
1975年はシーズン中盤からかのニキ・ラウダがGPを席巻しており、そんな時に見事ストップ・ザ・ラウダを果たしたのが308Bとハントなんですねぇ。このレースも2位は数秒差でラウダですから。まあ~最強横綱を倒した小結ってところでしょうか。
この308Bは以後、優勝は無くても表彰台の常連でこの年のチーム順位は4位と参戦3年目のチームとは思えない活躍をしたのですが、アレクサンダーさんのお金が無くなってシーズン終了後1月もしないうちにグランプリ撤退表明!。さてさて、乗るクルマが無くなってしまったハント君ですが、その後マクラーレンから声がかかり、翌年1976年は、ラウダとの死闘を制してなんとワールド・チャンピオンになってしまうから人生分かりません。
なんともドラマチックというか、アレクサンダーさんが「や~メタ!」って言ったから翌年のラウダVSハント対決が実現したんですからねぇ。この対決、来年には映画化だそうですよ「Rush」(監督ロン・ハワード)
http://www.rushmovie.com/ ←こちらです。
さてさて、チームは、他のスタッフにより3年ほど延命しますが、ノーポイント。もちろん、ポッスルスウエイト博士もそんな場所で才能を埋もれさすわけには行かないので”ウルフ”に移籍してかの名車WR-1を制作します。個人的にはWR-1大好きなんで、本来ならば第一回はコレでも良かったんですが、どちらが70年代っぽいかというと308Bだし、1勝しかしていないとか話題性は308かと。それに308BとWR-1似てるんですよね~デザイナーが一緒だから当然ですが~なのでオリジナルは308Bかなぁと。発展系がWR-1ですな。因みにWR-1発表時はコレ。

更新日時 : 2012年09月29日 | この記事へのリンク :
そりゃ~TOYOTAのクルマでしょう~って(笑)。(そんなクルマを知っている人もある意味マニアック)
正式?にはプログレッシヴ・ロックと言いますが、1970年代に一部で流行ったロック音楽って感じでしょうか。
なんで今更?と思った方もいらっしゃるかと思いますが、そう言う方はよくご存知なンでしょう。
本ブログでも再三対象になるアルバムを取り上げたりもしているので、自分でも今更感ありありなんですが、最近こんな本買いまして。

個人的には、プログレ関連の本は100冊を超え、CD、LP、VHS、LD、DVD,ブルーレイ等の作品は総数たぶん4桁近い・・・たりもするので”今更”こんな本が出ても普通は買わないんですが、インタビュー受けている人が興味深かったんで買いました。
以前、NHK大河ドラマ「平清盛」でELPのタルカスが使われているって事で登場の吉松隆さん。「・・・・かくれプログレFANが続々出てきたんですよ・・・・」
”かくれプログレFAN”・・・・なぜプログレFANは隠れていたのか。別に隠れていたわけではないですが、あえて”プログレFAN”だと他人に公言しない。
理由1:洋楽リスナーでもプログレは知らない。(この場合、Yesのロンリー・ハートやASIAのヒート・オブ・ザ・モーメントは知っていても、それらのメンバーがかつて”プログレ”を演っていた事並びに”プログレ”と呼ばれたジャンルの存在、音楽自体知らない。)
理由2:聞いても理解するのに時間がかかる(上記本で錦織健さんも、ELPは一聴しても良いとは思わなかったのに、その後何回か聞いていると突然良さがわかるようになった。と語っている。自分も全く同じだった。)もんで、聞かせても”ウケ”ないからあえて勧めない。(基本、そんな面倒な事をあえてしようとする人はいないであろう。プログレFANは”試される系”・・・「これは良いから」と人に進められると一聴して分からなくてモ何度も聞く”修行”をしてしまう人達のことbyみうらじゅん、だそうです。)
理由3:人格否定されるかもしれない(プログレを”知っている人”~この場合はジャンルも音楽自体も知っているが好きではない人、たぶん勧められて気に入らなかった。 に対して自分のイメージを悪くする)。プログレは暗い重い長いイメージがあり70年代後半から80年代はプログレ好きはオタクで暗い人と思われていた。特に80年代は軽薄短小時代軽チャーだったので軽チャーな人には”お前の人生も暗いだろう”とバカにされていた。以前居た会社は音楽好きが多く、自分は「◯◯君プログレ好きなんだって~そんな感じだよね~」と言われた事がある。たぶんオタクっぽかったんだろう。
したがってプログレを語れる友達が居ないので、この手の共通の趣味を持つ人がいると逆に話さずにはおれない。→続々と出てきたわけだ。
エンターティナー振りも素晴らしい宮川彬良さん「・・・宇宙戦艦ヤマトの作曲をしている父に「・・・パパー、これELPに似てない」と言った事がある。」
なるほど~振り返るとめっちゃインスパイアされている。自分の頭の中で”ヤマト”鳴らして、一人で電車でほくそ笑んでしまいました。
コレと
コレ
。
なるほどね~。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=JFal0CC4Cmw
さらに”みうらじゅん”さん。「・・・・(坂本冬美の)「また君に恋してる」で、あの曲の一番重要な、使ってはイケない禁じ手のフレーズをパクっているでしょ・・・全くサビの部分でしょ(両方とも)・・・・これは”アカン”・・・・。」
いや~、頭で「また君に~」が鳴って、がっくし。な~んで気が付かなかったんだろう。私としたことが・・・。
コレと
コレ
びっくりですがな。参ったなーやられたな~。
http://www.youtube.com/watch?v=j1m1l00eaDg
更新日時 : 2012年09月20日 | この記事へのリンク :
え~40代ロック好きには有名なジャケットなモンで”何が書いてあるんだろう~なぁ~”と興味をそそったかと思います。
最近バンドでスタジオに入ってかの名曲「OnlyYouCanRockMe」をコピーして合わせましたんですが、クルマで何度も聞くうちに”はてな?”、”どっかで聞いたような”と言うわけです。
というか、先日のあざみ野祭りで”矢沢永吉”そっくりさんバンドが最後に演奏した曲「雨上がりの夜空に」が「Only~」聞いているうちに浮かんで来まして、そうかぁ~そうだったのかぁ~と。
ただ具体的に”ここだ!”と分かり易い指摘場所がなく、載せようかどうしようかと迷って、なんとなく検索サイト探したら、あらまぁ~もっと似てるパクリ曲が!。
コレ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=8q4K6xoCPfM
ジャケはコレ

モット・ザ・フープルですか。イアン・ハンター&ミック・ラルフスと来ましたか。
確かにコッチの方がにてる。
でも、「Only~」が似てるって人もチラホラ。
良かったら聞いてくださいな。
http://www.youtube.com/watch?v=PICJ3aRN4-o&feature=fvwrel
アルバムはコレね。

そうかぁ~それで間奏に”カウベル”入ったのかぁ。(すみません、ある特定の方向けのコメントです。)
更新日時 : 2012年09月04日 | この記事へのリンク :
え~先日に続いて夏休み中のF-1ネタと言うことで、過去の記憶に残るレーサーその2です。
実は前回のブランビラさんと記録上の共通点があります。それもこの二人以外には存在しない共通点です。(詳しくは後で)
70年代Fー1においてこの方も欠かせない顔です。

ブランビラさんもそうですが、F-1で顕著な成績残せなくても他のカテゴリーではチャンピオンに匹敵する活躍をしてまして、ツーリングカー、スポーツカーでは多くの勝利を飾っております。
とは言え、あまたのF-1ドライバーの大半が未勝利(日本人も全て)の中で1勝でもできたらそれはそれで素晴らしいことかと思います。
この方、1975年に最初で最後の優勝をしております。ただ、レースが事故で途中中断して走行距離が半分以下だったので、点数が半分。どこかで聞いた話だなぁと思った方、前回の話をよく覚えてらっしゃる。ブランピラさんも同じなんですねぇ。1975年に生涯唯一のF-1GP優勝を飾るも点数半分。こんな共通点他には居ません。だいたい優勝する実力がある人はたった1勝で終わらないのが普通かと思うんですよ。(もちろん、先ほどのお二人が実力がないと言っては居ませんが)つまり1勝で終わる人って珍しい。それでもって個性派じゃないかと。
70年代に生涯1勝で終わった方を思いだすと
ピーター・ゲシン・・・・1971年イタリヤ~生涯獲得ポイント11点の内、この時の優勝が9点ですからあとは2点のみってのはいかにも”まぐれ”っぽいですが、この時の記録としてレース平均速度242km/hは以後32年間更新されず、1位と2位の差0.01秒差、1位から5位まで0.6秒差の歴史に残るレースでした。F-5000と言うフォーミュラーレースで活躍、F-1優勝の4年後の日本GP(F-2000で行われた当時の国内最高峰レース)に来日して出場したものの振るわず。昨年亡くなったんですよねぇ~。プレイ・ボーイとしても有名。この人も記憶に残る個性派ですな。
J.P.ベルトワーズ・・・・1972年モナコ~60年代から活躍も、色々ありましたてキャリアの下り坂かなって頃の雨のモナコでのぶっちぎりでした。当時のフランス人ドライバーではNo.1かと。スポーツカーレースでも活躍。二輪からの転向でやはり異彩を放つ個性派かと。
F.セベール・・・・1971年アメリカ~2年後の事故がなければ1勝で終わらなかったはず。未来の世界チャンピオンと言われた。
カルロス・パーチェ・・・・1975年ブラジル~同じく2年後の事故がなければ・・・。
の他は先の二人にしか居ない。
マスは在籍時代チャンピオンを2度も排出したマクラーレンにいて通算1勝ですから、まあ~ナンバー・ツーがポジションだったんだろうかと思います。
しかしながら、ラウダの事故で有名な1976年ニュルブルクリンクのレースでは、タイヤの読みがずばり当たってぶっちぎりでトップを走っていたのにラウダが事故って再レースになってしまい、地元での優勝をし損なったとか、惜しいレースがいくつかあったかと思います。
がっしりした体躯は屈強なスポーツマンって感じで、どちらかと言うとなよっとしたドライバーが多いF-1レーサーの中で目立っておりました。
その後の走らないマシン~アローズ~でもパトレーセ(F-1通算6勝)といい勝負したり、実力はありそうなのにポカが多いとか。まあ~F-1に限ったことなんで、ポルシェでのイクスとのコンビ、メルセデスのCカーで活躍など、F-1以外では素晴らしい成果をあげたかと思います。また、かのシューマッハーにメルセデス時代レースのいろはを教えた先生としても有名。

これは唯一の優勝を飾った時のショットです。背の高いインダクションボックスが印象的です。
更新日時 : 2012年08月07日 | この記事へのリンク :
さてさて、F-1GPも夏休みに入りまして、ネタが無いモンで過去の回想でもしようかと。
今年は、かのジル・ヴィルニューブ大先生がお亡くなりになられて30周年だそうで、書こうと思えばいくらでも書けるんですが、はてさて何から書いて良いものか。
思うに、ジル大先生の話になると、レース界におけるF-1世界チャンピオンの意義って何だろうと思うというか、そのチャンピオンになっていないジル大先生が、あまたの世界チャンピオンよりも今だに多くの人の記憶に残るレーサーであるという事実があまりに重く、またあまりに多いエピソードがどれをとっても面白すぎる訳で、気合が入らないと「やっぱ難しいのう」と成るわけですな。
そこで、その他の人にご登場お願いすることに。
ヴィットリオ・ブランビラさんです。

ゴツイ顔で「モンツァ・ゴリラ」と呼ばれておりましたが、70年代のF-1には欠かせない顔(顔が重要ではなく、走りを含めたキャラクター)かと思います。
言うまでもなく、イタリアンでして、当時はメルツァリオさんとベテラン・イタリアン・コンビで異彩を放っていたかと。
”Bata”と言うイタリアの工具メーカーがバックについてF-1参戦となりましたが、マーチでの活躍が思い出されます。マーチは元々がコンストラクター(所謂生産者ですな。)的発想でF-1の世界に鳴り物入りで登場したチームで、他のチームにも自分たちのマシンを売ると言う特異なキャラを持ち、下位レースのF-2,F-3ではBMWと組んで売ったマシンが大ヒット!とF-1以外では80年代にかけて大成功した製作(コンストラクター)社であります。そのマーチがブランビラさんスポンサー込でチームに迎えたのが1974年。この年、6位入賞の1ポイントだけだったもんで、マーチはF-1GPから撤退。・・・・理由として考えられるのは、下位カテゴリーのF-2,F-3で成功していたので商売に本腰入っちゃったのと、F-1マシンもF-2,F-3の延長だった(生産性が考慮される)。
で、1975年は”bata"がカネ出してプライベート参加。トコロが、コレが良く走っちゃって、PPは取るわ、優勝するわでさあ大変。それが、この方ブランビラさんの活躍だったわけですな。理由としては、1台体制でチームの機動性が高まったとか、基本性能は高いマシンだったとか。(でも、昨年のマシンで基本的な改良は無しでこの結果ですから。なんとものどかな時代)ただ、予選は速くても決勝で最後まで走ることは少なかったかと思います。優勝したレースも豪雨で全走行距離の半分も走っていない。
雨では滅法速いとの評判通りの雨の優勝でしたが、彼の名声を高めたのが、チェッカーフラッグを受けた直後のクラッシュ。なんと嬉しさのあまり両手を上げてハンドル操作を誤ったとか。その後の写真がコレ。

こんな人いませんわ、他に。実に素晴らしい。
その走りは豪快との事で、無骨なマーチとの相性もバッチリだったんでは無いでしょうか。この年、スポーツカーノーズ(フロントにウイングがない。)は少数派。フロントのダウンフォース不足=強アンダーステアで振り回す走りが向いている。
レースキャリアが2輪からで、その後4輪に転向したしたこともあって、この1975年で御年38歳。この年限りでグラハム・ヒルが引退したこともあって、翌年からは最年長F-1ドライバーとなる。
結局、F-1ではこの優勝が最初で最後。この活躍で翌年はワークマーチが復活することに。雨の日本GP(F-1イン・ジャパン)でも活躍(ほぼビリから猛追して1位に並んだけれどスピン)。
1977年からサーティースに移籍して、性能の劣るクルマながらいぶし銀の走りで幾つかの入賞を果たす。
この年の世界スポーツカー選手権ではメルツァリオと共にワークス・アルファロメオのティーポ33でシリーズを席巻(アルファ以外にプロトタイプのメーカー参戦無し、アルファ運動会と呼ばれたが、メルツァリオとの勝負は面白かったらしい。)
翌年は、地元モンツアでのピーターソンの悲劇に巻き込まれ(意識不明の重体)重症を負ってレースから遠ざかるも、アルファロメオのF-1復帰に協力を依頼され尽力する。そのアルファF-1で数レース出走するも結果が出ずに引退。
マシンの性能差が少なかったこの時代、雨が降れば勝てると言われた(事実勝った)個性派は実に印象深いですなぁ。
更新日時 : 2012年08月05日 | この記事へのリンク :
このところ日本の作品を取り上げてばかりいますが、今回も日本を代表するアーティスト、ユーミンこと松任谷由実さんの「時のないホテル」です。

まあ~毎度ですが、あまりに有名な作品であります。そこはホレ、このブログですから、洋楽FANがな~るほどと(思ってくれれば嬉しい)なるネタをご紹介。
森川、難波は別として個人的琴線に触れるメロが殊の外多いのがユーミンです。と言っても80年代までですが・・・・。
で、個人的にですが、ユーミンのアルバムの中で(80年代までですが)非の打ち所が無い傑作と思うアルバムが3枚ありまして、その内の一つがコレ。あとはデビュー作の「ひこうき雲」と「ノー・サイド」。で、それぞれの傑作の前後のアルバムもかなりの完成度があります。要するに山が3つあってその頂きをピークとして山成りに(個人的好みの高低ある)作品が並んでいると思っています。
1980年に発表されたこの作品の意義というか、作者の意図するところは実に興味深いです。
混乱の70年代を経て新たなる時代の80年代は日本においてはバブル経済に向かっての発展のスタート。洋楽的にはパンクに代表される既存旧来の音楽へのアンチテーゼの後を受けて暗くて重い音楽の排除の動きに加速がかかったかと思います。(テクノロジー的にもバンドサウンドから宅録~リズムマシン、キーボードの進化)。まさに軽チャーショック。軽薄短小がもてはやされる時代。ノー天気バカっぽい軽いノリが蔓延。行き着く先はバブル崩壊とヒップホップ&オルタナ(メロ軽視ダークな退廃的サウンド)の支配する全米チャート。
そんな時代に発表したあまりにシリアスでメッセージ色の強いアルバムです。ラヴソングも全て悲しい話。「時のないホテル」は異国の戦争を描いた作品、同様に「コンパートメント」「水の影」は自殺や人生がテーマ。
ハードロックやソウルと違って固定ファンが居ないと言われるポップスの世界で時代に「No」と言うのは勇気がいる事かと思いますが、すでにトップ・アーティストの地位に居たから可能だったのかもしれません。また、時代の移り変わりを危惧する姿勢は自分自身の為でもあり、啓蒙する使命を負っていたとも言えます。
当時の軽チャーに染まっていた世間はどう受け止めたか分かりませんが、世界は危惧した通りになったのは見事としか言いようがありません。
さてさて、本題の洋楽ネタですな。まずは「ホテル・カリフォルニア」。ホテルつながりですか?と言われそうですが、ホテル・カリフォルニアの歌詞に”YouCanNeverLeave”とあります。「時ないホテル」には”出ては行けない”とあります。ともに最後の歌詞です。つまりどちらももう”このホテルからは出ていくことはできない”。ホテル=国ということで、つまりは閉塞感。生き詰まった行政、先行き不安ってことでしょうか。「ホテル・カリフォルニア」から4年後の「時ないホテル」です。
次に「グランドホテル」。また、ホテルつながりですか?と言われますよね~。今度はプロコル・ハルム(”青い影”で有名な英国のグループ)です。ユーミンが大好きなミュージシャンです。プロコル・ハルム自体”ミュージシャンズ、ミュージシャン”と言われて、要は一般よりもアーティストに好かれるタイプと言うことです。
そのプロコル・ハルムの代表作に「グランドホテル」ってのがあります。そのタイトルソング聞いてください。
http://www.youtube.com/watch?v=9sJR4KzqSoo
「時ないホテル」の一曲目”セシルの週末”
http://www.youtube.com/watch?v=GmjiBzrRPpw
わかりにくいかもしれませんが、イントロのメロをパクっています。(チョットの上に音数を割って増している)
このイントロも間違いなく”意図的”だと思うんですが、如何でしょう。
更新日時 : 2012年08月04日 | この記事へのリンク :
いや~素晴らしかった。楽しかった。タダでコレが見れるってのは、凄い。
久しぶりに”ライヴ”見に行きたくなりましたね~。感動ですわ。は~面白かった。たまプラーザにはこんなに凄い人達が住んでいるんですねぇ~。素晴らしい!!。
よかった、よかった。めでたしめでたし。
って終わったらなんだかわかりませんよね。ははっ。
コレですわ。

え~なになに「手数王Drummer菅沼孝三withSATOKO夢の親子共演」・・・夏祭りイベントプログラムより。
以前、このブログでもご紹介しましたが、菅沼さんは日本を代表するトップドラマーであります。個人的にはそんな偉い方がこんな近くで演奏してくれるなんてといった感じです。自分も趣味でタイコ叩いているもんで、どれだけ菅沼さんが素晴らしいかは重々承知しておりまして、正直神様ってレベルですわ。野球で例えるとイチローや松井に匹敵すると言っても過言ではありません。
その菅沼さんの娘さんがSATOKOさんでFUZZY CONTROL(ファジー・コントロール)と言うロックバンドのメンバーでもあります。今年、そのファジコンのギタリストであるJUONさんがドリカムの吉田美和さんとご結婚して一躍有名になったのは皆さんよくご存知かと思います。SATOKOさんもドリカムのツアーやTV出演のバックでドラムを叩いております。(あのドリカムのバックメンバーなんて凄くありませんか。)
で、驚いたことにFUZZY CONTROL(ファジー・コントロール)のJUONさん、BassのJOEさんも来場して演奏するという嬉しいハプニングが!。

右端でギター持っているのがJUONさん、左端でアンプの前に座っているのがJOEさん。(上記写真はサウンドチェック最中)
演目は以下です。
Dont you worry bout the thing (INCOGNITO):孝三さん
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=DJFgb_f5q4Y&feature=related
孝三さんドラム・ソロ
Sing、Sing、Sing(ベニーグッドマン):孝三さん&SATOKOさん親子共演
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=lTzP7ecGQiw&feature=related
SWEET RAIN SWEET HOME:FUZZY CONTROL
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=Cc3V64lfHAI
モナリザ:FUZZY CONTROL
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=aqNM6Uqg2mg
We'reAnAmericanBand:ジジーコントロール(SATOKOさんの代わりに孝三さんが参加したファジコン)
→当日「やろっか」と3人で決めていきなり本番。初めて合わせたとのこと。演奏し始めたらギターとベースがキーが違って中断。ベースに合わせることで決着。
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=lMsIrKjSM6Y&feature=related
BornToBeWild:ファジコン+孝三さん
原曲はコレ。
http://www.youtube.com/watch?v=eFa5mA3H_-A&feature=relmfu
楽しい時間とサインも貰って1日ハッピーでした。
更新日時 : 2012年07月29日 | この記事へのリンク :
2012年、今年も夏祭り始まりました。

今年も弊社社屋の横でラムネ販売します。

ココです。弊社社屋の看板が左手に見えています。ラムネの左隣りはサーティーワンアイスクリームです。右手は商店街で評判の”お好み焼き屋”さんが焼きそばを販売します。
是非皆さんお越しください。
更新日時 : 2012年07月28日 | この記事へのリンク :

え~もう20年も前のCDシングルになりますか。へ~もうそんな昔の話だとは歳を取るのは早いですね~。
久しぶりに友だちから近藤房之助さんの名前を聞いて思い出したのがコレ。
ヒットしたかと言うとそれほど売れた印象は無いのですが、YouTubeのコメント見ると良いコメントが多く、結構聞かれていたんだなぁと思います。まあ~それだけ印象に残る曲なんでしょう。
とりあえず聞いてみますか。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=WFbFBUZ-stQ
スタジオライブはコレ
http://www.youtube.com/watch?v=hNT-ue3R0hQ&feature=related
ちなみに現行CDでは近藤さんのBEST

織田さんのBest

に収録されております。
さすが織田さん良いメロ書きます。ノリノリでよく昔はカラオケで歌っていたのを思い出します。
この曲、洋楽FANの遊びココロをくすぐる仕掛けがありまして、一つはフィルムコリンズとE.W.&F.フィリップ・ベイリーの「EasyLover」。フレーズの間のキメのアクセントに同じパターン使われております。もう一つは歌詞に「FoolForYourLovin'」ってトコロがあるのですが、有名な同じタイトルの「FoolForYourLovin'」(もちろんホワイト・スネイク)のサビがちょこっと顔出します。曲に合わせて歌ってみるとよく分かるかと思います。
カラオケでも行くか。
P.S.織田さんソロヴァージョンも良いです。・・・最近の映像かな。本人も気に入っているんだよね~きっと。
http://www.youtube.com/watch?v=2xjmeUMeHAs&feature=related
更新日時 : 2012年07月22日 | この記事へのリンク :