当社の物件紹介や地域情報まで住むにあたりより親近感をもてるブログを目指します。
更新日時 : 2020年02月16日 | この記事へのリンク :
更新日時 : 2020年01月12日 | この記事へのリンク :
更新日時 : 2019年09月01日 | この記事へのリンク :
更新日時 : 2019年05月26日 | この記事へのリンク :
更新日時 : 2019年03月24日 | この記事へのリンク :
懐かしのレースを「1枚の写真」で語るシリーズ、第一弾。
1979年の富士グランド・チャンピオン・シリーズ最終戦です。
当時、日本で最も人気を誇った富士GCシリーズのチャンピオン決定戦に中坊が単身乗り込んできました。
1979年というとレギュレーションが変わり、
単座席(シングル・シーター)レーシングカーの参加が認められました。
当時はタイヤむき出しのフォーミューラーカー以外のレーシングカーは2座席が当たり前でした。
スポーツカーとも呼ばれ、市販車の延長と考えられていました。
それが、
アメリカのカンナム・シリーズが単座席車オーケーな
レギュレーションである程度の成功を収めたので、
日本のシリーズが追従した形になりましたが、
大きな目的は当時人気を増してきたF-2シリーズ
(F-1のすぐ下のカテゴリー。
簡単に言うとF-1の次に速いレーシングカー)参加マシンとの
シャシーの共通化で
スピードアップとコスト削減を狙ったルールです。
結果的には、その後のF-1ブームにより、
F-2シリーズ(F-3000)の方が隆盛となって
GCシリーズは消滅しました。
さて、
その1979年のシリーズは実に見ごたえのある展開となりました。
当時、日本一早い男と言えばご存知星野一義でした。
前年はGCもF-2もチャンピオンを奪取して名実共に日本一
でしたので、この年も本命でした。
GCについての星野のライバルはロータリー勢で
マツダと言えばこの人有りきの片山義美をはじめ、弟の従野、
Mr.ルマン寺田陽次郎、Mr.GCの高原敬武と錚々たる面子がロータリー・ユーザーでした。
その中でも片山義美は大本命だったんですが、
年間4戦しかないシリーズでトラブルが頻出して、はやチャンピオン戦線から脱落。
変わっての本命が後のF-1ドライバー中嶋悟。
まさにダークホースで、シリーズ第一戦を棚ぼたで勝利すると、
順調にポイントを重ね最終戦をポイントリーダーで迎えました。
片や星野も第二戦をモノにしたものの
昨年のマシンの改良版では、戦闘力的に苦戦を強いられ、
この最終戦の予選で大クラッシュに見舞われるなど、
ポイント的にチャンピオンの可能性は残していたものの、
他力本願的な感じでした。
ちなみにこの最終戦は元々予定されてた日が
大雨で延期されて開催された経緯があり、
そのままの日で開催がなされていたら星野は出場できませんでした。
で、やっと写真の話です。
正面はロータリーの御大片山義美の車です。
本体とリヤカウルを別々に運ぶ必要があるのか?
と思いますが、
スタートギリギリまでエンジン調整していました。
予選ではブッチギリのポールポジションで、
このレースもブッチギリで制しています。
右の赤い車はロータリー(マツダ)ではないですが、
広島出身、2年後のGCチャンピオン藤田直広のサンダーLMです。
レギュレーションの目的を具現化しようなマシンで、
カウルを交換したらF-2マシンにコンバートできる代物でした。
F-2マシンはGCマシンに比べると明らかにコーナーリング性能が
高いのが売りでしたが、
どうもこのマシンはストレートスピードに分があったようで、
本来の性能を引き出すのが難しったようです。
結果1年で姿を消しましたが、
その姿は記憶に強く残るものでした。
このレース、この1年のうっぷんを晴らすような片山義美の独走で終わりましたが、
中嶋悟が2位に入り見事チャンピオンをゲットしました。
その後、中嶋悟はCGシリーズには5年間参戦しましたが、
シリーズ順位は2位が最高でした。
更新日時 : 2018年06月03日 | この記事へのリンク :
往年のF-1ファンであれば、
よくご存知の映画「グレート・ドライバー」ってのが
昭和55年に公開されまして、当時見に行きました。
その頃は、F-1グランプリも何もかもカーレースは中継が無くて、
年間4~5回のレースが2~3週間遅れで放映されるのが
動くマシンの動画を見れる唯一の機会でした。
そんな訳で、
レースの映画が公開されたりすると必ず見に行くのは
レースファンとしては当たり前というか、
この機会を見逃すものか!といった感じの意気込みで
見に行くというか。
で、この映画がTV放映されたのは90年代に深夜に一回だけ
(と記憶しております)で、
その時は見過ごしてしまったので、
映画公開から37年間お目にかかることのなかった
動画なんですが、
よく考えてみるとYoutubeなんて便利なツールがあったんですな。
あったわ。
https://www.youtube.com/watch?v=LIbrHxkjeLY
とは言え、
Youtubeから削除されるかもしれないし、
DVDとかで欲しいな~と。
もちろん日本での発売とかの情報はチェックしてるんで
そんな形跡はなし。
なんですが、
先日買ったレーシングオンに
この映画の記事が載っていて
原題が「Fangio」と書いてあった。
もしかして外国ではDVD化されていたりしてと思って
amazonチェック。
あったわ。
フロントが凹んだマセラーティはカッコイイが、
その上のF-2だかがクラッシュしている絵はダサいなぁ。
こんなシーン無いし。流石適当なイタリヤだぜ。
送料入れても千円でゲット!。
いや~37年ぶりの再会。
字幕無いから何言っているか
(ファンジオさんアルゼンチーナだし、ナレーションがイタリヤ語)
よく分からんが、感動です。
更新日時 : 2018年03月11日 | この記事へのリンク :
まず、邦題に一言。
現在のF-1において”マクラーレン”の名前は不動であることに異論なし。
しかし、この映画はブルース・マクラーレン個人について取り上げた
ているにもかかわらず、
彼がルマン24時間レースで優勝し、
CAN-AM(カンナム)シリーズで何度もチャンピオンに輝いている
事実が
当時で言えばF-1チャンピオンに匹敵するステイタスにもかかわらず
まるでF-1しか関連が無いようなタイトルどうかと思う。
とは言え、
F-1では当時F-1GP最年少で優勝を果たし(その後、43年間記録保持)、
自分のチームで制作したマシンでF-1GP優勝を達成した
史上二人目(この記録は現在でもジャック・ブラバムと彼しかいない)である事”だけ”をみても
F-1の長い歴史において偉大なる功績であるのは間違いありません。そんな偉大なブルースの伝記映画がコレ。
映画は全くよくわからな私ですが、
日本でスポーツマンの伝記映画なんて有るんですかね。
長嶋茂雄とか双葉山とか。
有名な言葉で「巨人大鵬卵焼き」ってのがありますが、
そこまで人気を誇ったスポーツであっても
伝記映画とかあったんですかね。
ニュージーランドではブルースは世界に名を馳せた
国民的英雄です。
個人的には申し訳ありませんが世界的知名度、
その国民感情的なヒーロー具合において、
羽生結弦さんとかブルースの比じゃありません。
まあ~やっかみでネット上で羽生結弦さんやカーリング女子をタタキまくる国民が多い日本じゃ伝記映画もヒーローも生まれないのは仕方が無いんでしょう。
”国民栄誉賞”も総理大臣の高感度アップツールだし、
世界的に見ても平和で裕福な日本にヒーローは必要ないのかもしれません。
で、ブルース・マクラーレンさんですが、
チームとしてのF-1GPでの大活躍は彼の死後の話です。
この映画は1959年にF-1で優勝してから1970年に事故死するまでの10年にわたっての物語です。
才能もさることながらその抜群の容姿は映画俳優顔負けですね。
勝負師というより知的な雰囲気が強いというか。
そのブルースの温厚でありながら情熱的で魅力的な人柄
とはかけ離れたイメージが強い
”今のマクラーレンチーム”がより浮き彫りにされたって感じです。
ニュージーランドの人たちにとって
”今”のF-1マクラーレンはどうでもイイんでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=saqRNwil9wc
https://www.youtube.com/watch?v=9lAuPfw8Xeo
更新日時 : 2018年03月04日 | この記事へのリンク :
今年は寒いですね~、
なかなかお外で遊ぶ気になれないというか。
なので、家でこんなの見てました。
タイトルの「DEADLIEST」って言葉の意味は
”命がけ”ってことらしいんですが、正にその通りですな。
まあ~「フェラーリ」とか「F-1(エフワン)」と言った言葉は
誰でも知っているかと思いますが、
1960年代まではF-1レーサーってのは
”二人に一人はお陀仏さ”ってのが”当たり前”でした。
1950年からその歴史が始まったF-1ですが、
最初の15年位は
統計的にもその数字に大きな間違いはありません。
特にタイアも細い、シートベルトもない1950年代は
真の意味で”死と隣り合わせ”だったかと思います。
その頃のドキュメンタリー映画です。
日本で公開はされたんでしょうか?。
実車をこの映画のために走行させて撮影したシーンも
ふんだんに織り込まれておりまして、
こんなに古くて貴重な車を走らせたという事だけでも感動でした。
https://www.youtube.com/watch?v=GRbZLViDwA4
1955年からこの物語は始まりますが、
1957年と1958年のたった2年間ですが、
フェラーリF-1のドライバーが5人も事故で亡くなっています。
ですが、その歴史を分かっていて見てるからかもしれませんが、
悲しいとか酷いとかと言った感じではなくて、
”男の生きざま”
を感じさせる秀逸な編集になっているかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=ZoKdS3cSg2A
更新日時 : 2018年02月25日 | この記事へのリンク :
今年の2017Indy500は日本人として初の快挙!、
佐藤琢磨選手の優勝と言う結果で
モータースポーツFANは大盛り上がりだったわけですが、
日本の皆様の多くの方はこのNews自体知らない。
100人に一人くらいは「なんかどこかでそんなNews見たような気がする」、
1000人に一人くらいは「なんかアメリカのレースで日本人が優勝したらしいが佐藤琢磨選手って誰?」、
1万人に一人くらいは「あ~その昔F-1に乗っていた人ね。Indy500ってアメリカの草レースでしょ」
なんて具合かと想像しますが如何なもんでしょうか?。
この快挙でアメリカでは佐藤琢磨の名前は
羽生結弦さん、高梨沙羅さん、吉田沙保里さん等などの日本でのビッグネームより知られた存在に成ったことは間違いありません。
アメリカレース界の頂点ということ、
世界の三大レースとしてルマン24時間、モナコグランプリと並んで世界的に認知されているレースであるんで
個人的には世界選手権、オリンピック競技の金メダルに匹敵するケースであると思っています。
ま、こんな事言っても
日本の皆様の多くは「ふ~んそうなんだぁ」で
終わるネタなんで興味ない方はここでサヨナラでよろしいかと思います。
さて、ココからは
日本のかたで1万人に一人いるか居ないかの
この快挙に心踊ったレースFANの方対象で
本音を言いたいかと。
1万人に一人いるかどうかのそんなレースFANの方々が
多くのコメントをSNSとかに寄せていらっしゃいます。
それはそれで、みんなで盛り上がって良い事だと思います。
そのコメントの中で目についたのが
「マスコミが凄いことなのに取り上げない」、
「国民栄誉賞をあげたい」。
気持ちは分かるんですけど、
何故マスコミは取り上げなかったか、
大多数の日本人が理解できない”スポーツ”であるモータースポーツに
日本人の国民が栄誉賞あげる道理が無いことを伝えたくて書いてます。
多くの年齢40代後半の日本人のモータースポーツの認識は
暴走族です。
推測ですが、
日本を代表する自動車会社の幹部クラスにも少なからずそう思っている人多いと思います。
暴走族は社会悪ですから、
村社会な日本では悪いイメージが付いたら徹底的叩くんで、
マスコミさんも
事故は大きく取り上げるが、栄光は知らんぷり。
この構図は昭和時代から変わっておりません。
ネットもない時代からコレですから
多くの日本の方がモータースポーツの本質を知るよしもありません。
さらに本質を知ってしまったら
スポーツ=武士道である日本人のメンタリティと全く合わないもんで、理解に苦しむに違いありません。
正々堂々清く正しく美しくが武士道とするならば
F-1なんて規則の抜け道まっしぐら、バレなければ何でもOKですから一刀両断でダメでしょう。
インディにしたってコーナーが4つしか無い
インディアナポリス・スピードウエイをぐるぐる200周も回るわけで、
「おんなじ所ぐるぐる回るだけの何処が面白いの?」
と真顔で多くの人に言われた経験があります。
競馬、競輪、競艇、トラック競技いずれも楕円コースをぐるぐる回るだけなのにオーバルコースだけがそう言われるのは偏見以外のなんでもありません。
フジTVがF-1中継するのにセナ人気を煽って
普通の人がF-1を「エフワン」と読めるようになった時代に比べて、
現在の日本でのモータースポーツ認知度がゼロに等しいほどに落ちたのは
やはりモータースポーツは日本に根づかない良い例かと思います。
更新日時 : 2017年06月04日 | この記事へのリンク :