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フォードvsフェラーリ



見てきましたよ。コレ。

まあ~ほとんど史実なんでストーリーはほぼ頭に入ってまして(^^ゞ。

こんな本(400ページ)を10年前に買って読破してましたから。

 


ですので、このストーリーがどれだけ面白いか、

よお~~~っく知っているんで早速行って来ました。


https://www.youtube.com/watch?v=4aY0dW3hpRc
 

よく出来ていましたね~。

流石アメリカ映画界ですよ。

かつてのロマンあふれる、「栄光のルマン」、「グランプリ」

に匹敵すると言っても過言ではないかと反論覚悟で言い切ってしまいます。

知り合いも言ってましたが、

冒頭とエンディングで2回泣けるんですよ。

知っている人しか冒頭は泣けないんですが、

こういったドキュメンタリーは

”よく知っている人”対象に作っていると思うんですよ。

見どころも突っ込みどころ満載で、マニアっくな視点でもいっぱい楽しめます。

まったく事実は小説より奇なりで、

こんなことが本当に起こるんだってあらためて思いました。

まあ~だからレースの虜なんでしょうけど。

因みに、他の国ではタイトル「LeMans’66」。

 


個人的にはこっちのタイトルが好きかな。

こんなレコード持っているし(^^♪。








 

更新日時 : 2020年02月16日 | この記事へのリンク : 

追悼・・・今宮純さん

今年は休み明けからレース界での訃報が相次いでおりますが、

なかでもびっくりしたのが

今宮純さん。



いくつもの書籍も自宅にありますし、

昨年のF-1についてもAS-Webのコラムは欠かさず見ていました。

(レースの動画見ないで今宮さんのコラム見た方が内容がよくわかる)

レースのTV中継を見始めてもう42年にもなりますが、

見始めの頃の全日本F-2選手権のピットリポートが今宮さんでした。

(当時はまだF-1の中継はありませんでした。)

あんまりTVを見ない中坊だったんで、

たのきんトリオより今宮さんを目にしていた時間の方が多かったかも

しれません(ま~それだけ個人的にはTVの中の人で、有名人って事です。)

フジTVでF-1中継始まったら解説者として知名度は全国区になりましたが、

古館さんとか川井チャンとかと違って冷静な淡々とした喋りが好きでしたね~。

そんな今宮さんが感情を前面に出して話をしたのがセナがなくなった時の中継。

泣いて言葉になってなかったのはこの時だけですが、

締めくくりに「それでもF-1は続いていきます。」って名言でした。

それまでF-1で亡くなった多くの方々を見てきた自分も、

もちろんそうゆう事はよく分かってけれども、

亡くなって2時間も経っていないあのタイミングでそれを言えるのは

凄いなぁと思います。

合掌

更新日時 : 2020年01月12日 | この記事へのリンク : 

インディカー・シリーズ第15戦ゲートウェイ~佐藤琢磨選手優勝!

アメリカで行われている、

インディカー・ワールド・シリーズの第15戦が先週の8月25日に行われ、

佐藤琢磨選手が今シーズン2勝目、通算5度目の優勝を飾った。

ま、F-1と比べて一般の方には、

あんまりなじみのないインディカー・シリーズですが、

オープンホイール(タイヤにカバーのない・・・F-1も同じ)

のレースとしては、F-1に次ぐものかと思います。

そこに日本人としてただ一人参戦しているのが佐藤琢磨選手です。

もうこのシリーズで4回も優勝

(もっとも有名で賞金も高いインディ500優勝を含む)しているので、

本ブログで取り上げるネタとしては新鮮味がないトコロなんですが、

今回の優勝はちょっと意味合いが違うというか、

ある意味インディ500の優勝をも上回る成果ではないかと思いまして。

8月発売のレーシング・オンでも特集されてましたが、

40歳を超えても一線級の実力を持って参戦している訳ですが、

8月17日の第14戦で他車にぶつけられて大クラッシュしているんですね。

で、ぶつけられたのに

クラッシュの責任は佐藤琢磨選手にあると大バッシングを受ける羽目に。

?action_modules_BlogTop_adm_index=true&blog_id=120489
https://www.youtube.com/watch?v=MmFco6896kY
 

所属チームから”いやいや、佐藤琢磨選手は悪くないですよ”って

公式声明が出るくらいの異常事態でした。

で、その逆風の中、

次のレースで優勝するんだからメンタル強すぎと言うか、

前戦での事故の責任はないとの確固たる自信があったんでしょう。

そのレースは、2ラップダウンから挽回した上に、0.399秒差の逃げ切りと、

久しぶりに興奮したレースです。

スッキリしたと言うか、感動をありがとうって感じです。
https://www.youtube.com/watch?v=pvmUINyQdxU


 

更新日時 : 2019年09月01日 | この記事へのリンク : 

追悼・ニキ・ラウダ

5月20日の事ですが、ニキ・ラウダさんが亡くなりました。享年70歳。

もうラウダも70歳だったんだぁ~、

ジル・ビルヌーブは若く見えていたけれど一つ年下なんだよね~。

ジェームス・ハントは一つ上。みんな同じ世代だったんだねぇ。



スーパー・カーブームに踊らされて、F-1に興味を持った子供からすると、

F-1の象徴的な存在がラウダさん。

フェラーリと言うスーパーカーメーカーが作っているF-1マシンに乗って、

スーパーカーブームの頂点に当たる1977年のチャンピオン。

怪我で顔の鼻から上がケロイド状の容姿、

チャンピオンが決まるとフェラーリを辞めちゃって、

日本GPに来ないなどやることなすことセンセーショナルで

1977年時点でさえインパクト強い印象ですな。

当時、スーカーブームとF-1を結びつけていたのが、

「アローエンブレム・グランプリの鷹」と「赤いペガサス」。


「グランプリの鷹」では”ニック・ラムダ”さんとして登場しました。
(本人は知っていたのかな・笑)。

F-1イコール”ニキ・ラウダ”って図式が子供の中では成り立っておりました。

当時のキャラ立ちまくりのF-1猛者の総大将ってのは実際間違っていなかったと思います。

その後、ジルやピケット、プロスト等名だたるレーサーが現れても

打ち負かす実力は引退まで衰えず、

ボス猿は最後まで頂点に君臨していたかと思います。(ネズミですが・笑)

よく、傑出しているレーサーはデビューから凄いってのが定説ですが、

ニキの場合はフェラーリに乗って開花したような話を聞きます。

しかし、前年のBRMでも結果は出ませんでしたが、随所に速さは見せておりました。

この写真は、1973年のシルバーストンです。

前年チャンプのフィッテパルディやこのレース3位に入るデニス・ハルムを従えて

堂々3位を走行しております。スタート直後は2位でした。

https://www.youtube.com/watch?v=lo9ynIrUakg

この時のBRMの実力を考えると大健闘です。

この2年後には世界チャンピオンですから。

で、4年後に二度目のチャンピオンと取るんですが、

皆さんご存知の1976年の事故で瀕死の重傷を負って、

カムバックするという映画にもなったストーリーが待ってます。

まあ~その件を話すと長いと言うか、皆さんご存じと言うか(^^)。

で、2度目なんですが、

1977年のフェラーリは当時のベストマシンでなかったにも関わらず、

2レース欠場なのにぶっちぎりの得点差で、年間チャンピオンです。

怪我の翌年コレかよってのも凄いんですが、1位三回に2位6回。

つまり優勝より得点稼ぐ方にシフトしているんですよ。

勿論体力的な問題もあったかもしれませんが、

F-1チャンピオンシップに対するモノの見方を変えたってのが凄いかと。

1977年、この年の最強マシンは間違いなくロータスでしょう。

なんつったて予選1位が7回。優勝5回。

次点はマクラーレンか(予選1位6回優勝3回)。

に対してフェラーリは予選1位2回優勝4回です。

ウルフのシェクターも優勝3回です。

これだけ群雄割拠しているのにチャンピオンシップの得点差ぶっちぎり。

フェラーリはひどい予選だと12位と15位に沈んだりしたにも関わらず。

で、この年の勝ち方は、最初から飛ばすんでなくて、あとから抜くパターンです。

特に印象深いのはドイツGPです。

勿論前年怪我したのはドイツGPですから、

開催サーキットは違えども思いは深かったのではないかと想像します。

8月初旬に行われるドイツGPは最も暑いGPの一つであるので、タイヤの扱いが重要です。

当時はグッドイヤーのほぼワンメイクなんで、タイヤ競争はなく、

どれを使うかと言った戦略と使い方かと。

今のF-1では当たり前のことですが、当時は今ほどの緻密な戦略などありようが無いです。

で、トップのシェクターの様子を見て、抜いてもじわじわしか離しません。

消耗戦ってのが分かっている戦い方です。

その後につけていたハントもワトソンもリタイヤして消えて行きました。

https://www.youtube.com/watch?v=4sz0tuSnS38

地味な展開ですが、これこそラウダの真骨頂かと。

その後、一度の引退を経て、カムバックして復帰3戦目で優勝、

更に2年してアラン・プロストを0・5点差で下して3度目の世界チャンピオンになるという

我々の想像を遥かに超える結果を出してF-1を去っていったラウダさん。

ご冥福をお祈りします。



 

更新日時 : 2019年05月26日 | この記事へのリンク : 

オートスポーツ1500号\(^o^)/

読み始めて早40年。

中学1年生の11月に買ったのが最初。

そんな愛読誌である「オートスポーツ」が

1500号を迎えました。パチパチパチパチ\(^o^)/。


ちなみに隣は創刊第六号。

ま、私の生まれた頃ですな。

自分が持っている最古と最新(*^^*)。

1964年の創刊からすると55年目で1500号ですか。

出版不況といわれて何年も経つ中頑張って頂いてありがたいなぁ~と。

毎号買ってはないですが、年間10冊以上は増えているような(^^ゞ。

家に何冊あるんだろう。1000は超えている!?。

思えば、買い始めた当時はレースのTV放映も少なく、

もちろんネットなんかあるわけないので、情報といえば雑誌のみでした。

月に2回、1日と15日刊行なので買ったら次号の発売まで何度も読み返して、

内容は殆ど頭に入っているという感じでした。

新大久保の編集部に遊びに行ったり、
読者欄に載ったりま、色々有りました(*^^*)。

いまだにモータースポーツファンであるのはオートスポーツさんのおかげかと。

これからも頑張ってほしいかと思います。

更新日時 : 2019年03月24日 | この記事へのリンク : 

1979年GC最終戦より「1枚の写真」

 

懐かしのレースを「1枚の写真」で語るシリーズ、第一弾。

1979年の富士グランド・チャンピオン・シリーズ最終戦です。

当時、日本で最も人気を誇った富士GCシリーズのチャンピオン決定戦に中坊が単身乗り込んできました。

1979年というとレギュレーションが変わり、

単座席(シングル・シーター)レーシングカーの参加が認められました。

当時はタイヤむき出しのフォーミューラーカー以外のレーシングカーは2座席が当たり前でした。

スポーツカーとも呼ばれ、市販車の延長と考えられていました。

それが、

アメリカのカンナム・シリーズが単座席車オーケーな

レギュレーションである程度の成功を収めたので、

日本のシリーズが追従した形になりましたが、

大きな目的は当時人気を増してきたF-2シリーズ

(F-1のすぐ下のカテゴリー。

簡単に言うとF-1の次に速いレーシングカー)参加マシンとの

シャシーの共通化で

スピードアップとコスト削減を狙ったルールです。

結果的には、その後のF-1ブームにより、

F-2シリーズ(F-3000)の方が隆盛となって

GCシリーズは消滅しました。

さて、

その1979年のシリーズは実に見ごたえのある展開となりました。

当時、日本一早い男と言えばご存知星野一義でした。

前年はGCもF-2もチャンピオンを奪取して名実共に日本一

でしたので、この年も本命でした。

GCについての星野のライバルはロータリー勢で

マツダと言えばこの人有りきの片山義美をはじめ、弟の従野、

Mr.ルマン寺田陽次郎、Mr.GCの高原敬武と錚々たる面子がロータリー・ユーザーでした。

その中でも片山義美は大本命だったんですが、

年間4戦しかないシリーズでトラブルが頻出して、はやチャンピオン戦線から脱落。

変わっての本命が後のF-1ドライバー中嶋悟。

まさにダークホースで、シリーズ第一戦を棚ぼたで勝利すると、

順調にポイントを重ね最終戦をポイントリーダーで迎えました。

片や星野も第二戦をモノにしたものの

昨年のマシンの改良版では、戦闘力的に苦戦を強いられ、

この最終戦の予選で大クラッシュに見舞われるなど、

ポイント的にチャンピオンの可能性は残していたものの、

他力本願的な感じでした。

ちなみにこの最終戦は元々予定されてた日が

大雨で延期されて開催された経緯があり、

そのままの日で開催がなされていたら星野は出場できませんでした。

 

で、やっと写真の話です。

正面はロータリーの御大片山義美の車です。 

本体とリヤカウルを別々に運ぶ必要があるのか?

と思いますが、

スタートギリギリまでエンジン調整していました。

予選ではブッチギリのポールポジションで、

このレースもブッチギリで制しています。

右の赤い車はロータリー(マツダ)ではないですが、

広島出身、2年後のGCチャンピオン藤田直広のサンダーLMです。

レギュレーションの目的を具現化しようなマシンで、

カウルを交換したらF-2マシンにコンバートできる代物でした。

F-2マシンはGCマシンに比べると明らかにコーナーリング性能が

高いのが売りでしたが、

どうもこのマシンはストレートスピードに分があったようで、

本来の性能を引き出すのが難しったようです。

結果1年で姿を消しましたが、

その姿は記憶に強く残るものでした。

このレース、この1年のうっぷんを晴らすような片山義美の独走で終わりましたが、

中嶋悟が2位に入り見事チャンピオンをゲットしました。

その後、中嶋悟はCGシリーズには5年間参戦しましたが、

シリーズ順位は2位が最高でした。

更新日時 : 2018年06月03日 | この記事へのリンク : 

グレート・ドライバー~Fangio - Una Vita A 300 All'Ora

往年のF-1ファンであれば、

よくご存知の映画「グレート・ドライバー」ってのが

昭和55年に公開されまして、当時見に行きました。

その頃は、F-1グランプリも何もかもカーレースは中継が無くて、

年間4~5回のレースが2~3週間遅れで放映されるのが

動くマシンの動画を見れる唯一の機会でした。

そんな訳で、

レースの映画が公開されたりすると必ず見に行くのは

レースファンとしては当たり前というか、

この機会を見逃すものか!といった感じの意気込みで

見に行くというか。

で、この映画がTV放映されたのは90年代に深夜に一回だけ

(と記憶しております)で、

その時は見過ごしてしまったので、

映画公開から37年間お目にかかることのなかった

動画なんですが、

よく考えてみるとYoutubeなんて便利なツールがあったんですな。

あったわ。

https://www.youtube.com/watch?v=LIbrHxkjeLY

 

とは言え、

Youtubeから削除されるかもしれないし、

DVDとかで欲しいな~と。

もちろん日本での発売とかの情報はチェックしてるんで

そんな形跡はなし。

なんですが、

先日買ったレーシングオンに

この映画の記事が載っていて

原題が「Fangio」と書いてあった。

 

もしかして外国ではDVD化されていたりしてと思って

amazonチェック。

 

あったわ。

 

 

フロントが凹んだマセラーティはカッコイイが、

その上のF-2だかがクラッシュしている絵はダサいなぁ。

こんなシーン無いし。流石適当なイタリヤだぜ。

送料入れても千円でゲット!。

いや~37年ぶりの再会。

字幕無いから何言っているか

(ファンジオさんアルゼンチーナだし、ナレーションがイタリヤ語)

よく分からんが、感動です。

 

 

更新日時 : 2018年03月11日 | この記事へのリンク : 

マクラーレン ~F1に魅せられた男~

まず、邦題に一言。

現在のF-1において”マクラーレン”の名前は不動であることに異論なし。

しかし、この映画はブルース・マクラーレン個人について取り上げた

ているにもかかわらず、

彼がルマン24時間レースで優勝し、

CAN-AM(カンナム)シリーズで何度もチャンピオンに輝いている

事実が

当時で言えばF-1チャンピオンに匹敵するステイタスにもかかわらず 

まるでF-1しか関連が無いようなタイトルどうかと思う。

とは言え、

F-1では当時F-1GP最年少で優勝を果たし(その後、43年間記録保持)、

自分のチームで制作したマシンでF-1GP優勝を達成した

史上二人目(この記録は現在でもジャック・ブラバムと彼しかいない)である事”だけ”をみても

F-1の長い歴史において偉大なる功績であるのは間違いありません。そんな偉大なブルースの伝記映画がコレ。

 

映画は全くよくわからな私ですが、

日本でスポーツマンの伝記映画なんて有るんですかね。

長嶋茂雄とか双葉山とか。

有名な言葉で「巨人大鵬卵焼き」ってのがありますが、

そこまで人気を誇ったスポーツであっても

伝記映画とかあったんですかね。

ニュージーランドではブルースは世界に名を馳せた

国民的英雄です。

個人的には申し訳ありませんが世界的知名度、

その国民感情的なヒーロー具合において、

羽生結弦さんとかブルースの比じゃありません。

まあ~やっかみでネット上で羽生結弦さんやカーリング女子をタタキまくる国民が多い日本じゃ伝記映画もヒーローも生まれないのは仕方が無いんでしょう。

”国民栄誉賞”も総理大臣の高感度アップツールだし、

世界的に見ても平和で裕福な日本にヒーローは必要ないのかもしれません。

で、ブルース・マクラーレンさんですが、

チームとしてのF-1GPでの大活躍は彼の死後の話です。

この映画は1959年にF-1で優勝してから1970年に事故死するまでの10年にわたっての物語です。

才能もさることながらその抜群の容姿は映画俳優顔負けですね。

勝負師というより知的な雰囲気が強いというか。

そのブルースの温厚でありながら情熱的で魅力的な人柄

とはかけ離れたイメージが強い

”今のマクラーレンチーム”がより浮き彫りにされたって感じです。

ニュージーランドの人たちにとって

”今”のF-1マクラーレンはどうでもイイんでしょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=saqRNwil9wc

https://www.youtube.com/watch?v=9lAuPfw8Xeo 

 

更新日時 : 2018年03月04日 | この記事へのリンク : 

FERRARI~RaceToImmortality

今年は寒いですね~、

なかなかお外で遊ぶ気になれないというか。

なので、家でこんなの見てました。

 

タイトルの「DEADLIEST」って言葉の意味は

”命がけ”ってことらしいんですが、正にその通りですな。

まあ~「フェラーリ」とか「F-1(エフワン)」と言った言葉は

誰でも知っているかと思いますが、

1960年代まではF-1レーサーってのは

”二人に一人はお陀仏さ”ってのが”当たり前”でした。

1950年からその歴史が始まったF-1ですが、

最初の15年位は

統計的にもその数字に大きな間違いはありません。

特にタイアも細い、シートベルトもない1950年代は

真の意味で”死と隣り合わせ”だったかと思います。

その頃のドキュメンタリー映画です。

日本で公開はされたんでしょうか?。

実車をこの映画のために走行させて撮影したシーンも

ふんだんに織り込まれておりまして、

こんなに古くて貴重な車を走らせたという事だけでも感動でした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=GRbZLViDwA4 

1955年からこの物語は始まりますが、

1957年と1958年のたった2年間ですが、

フェラーリF-1のドライバーが5人も事故で亡くなっています。

ですが、その歴史を分かっていて見てるからかもしれませんが、

悲しいとか酷いとかと言った感じではなくて、

”男の生きざま”

を感じさせる秀逸な編集になっているかと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=ZoKdS3cSg2A 

 

更新日時 : 2018年02月25日 | この記事へのリンク : 

佐藤琢磨選手おめでとう!~2017Indy500

今年の2017Indy500は日本人として初の快挙!、

佐藤琢磨選手の優勝と言う結果で

モータースポーツFANは大盛り上がりだったわけですが、

日本の皆様の多くの方はこのNews自体知らない。

100人に一人くらいは「なんかどこかでそんなNews見たような気がする」、

1000人に一人くらいは「なんかアメリカのレースで日本人が優勝したらしいが佐藤琢磨選手って誰?」、

1万人に一人くらいは「あ~その昔F-1に乗っていた人ね。Indy500ってアメリカの草レースでしょ」

なんて具合かと想像しますが如何なもんでしょうか?。

この快挙でアメリカでは佐藤琢磨の名前は

羽生結弦さん、高梨沙羅さん、吉田沙保里さん等などの日本でのビッグネームより知られた存在に成ったことは間違いありません。

アメリカレース界の頂点ということ、

世界の三大レースとしてルマン24時間、モナコグランプリと並んで世界的に認知されているレースであるんで

個人的には世界選手権、オリンピック競技の金メダルに匹敵するケースであると思っています。

ま、こんな事言っても

日本の皆様の多くは「ふ~んそうなんだぁ」で

終わるネタなんで興味ない方はここでサヨナラでよろしいかと思います。

 

 さて、ココからは

日本のかたで1万人に一人いるか居ないかの

この快挙に心踊ったレースFANの方対象で

本音を言いたいかと。

1万人に一人いるかどうかのそんなレースFANの方々が

多くのコメントをSNSとかに寄せていらっしゃいます。

それはそれで、みんなで盛り上がって良い事だと思います。

そのコメントの中で目についたのが

「マスコミが凄いことなのに取り上げない」、

「国民栄誉賞をあげたい」。

気持ちは分かるんですけど、

何故マスコミは取り上げなかったか、

大多数の日本人が理解できない”スポーツ”であるモータースポーツに

日本人の国民が栄誉賞あげる道理が無いことを伝えたくて書いてます。

多くの年齢40代後半の日本人のモータースポーツの認識は

暴走族です。

推測ですが、

日本を代表する自動車会社の幹部クラスにも少なからずそう思っている人多いと思います。

暴走族は社会悪ですから、

村社会な日本では悪いイメージが付いたら徹底的叩くんで、

マスコミさんも

事故は大きく取り上げるが、栄光は知らんぷり。

この構図は昭和時代から変わっておりません。

ネットもない時代からコレですから

多くの日本の方がモータースポーツの本質を知るよしもありません。

さらに本質を知ってしまったら

スポーツ=武士道である日本人のメンタリティと全く合わないもんで、理解に苦しむに違いありません。

正々堂々清く正しく美しくが武士道とするならば

F-1なんて規則の抜け道まっしぐら、バレなければ何でもOKですから一刀両断でダメでしょう。

インディにしたってコーナーが4つしか無い

インディアナポリス・スピードウエイをぐるぐる200周も回るわけで、

「おんなじ所ぐるぐる回るだけの何処が面白いの?」

と真顔で多くの人に言われた経験があります。

競馬、競輪、競艇、トラック競技いずれも楕円コースをぐるぐる回るだけなのにオーバルコースだけがそう言われるのは偏見以外のなんでもありません。

フジTVがF-1中継するのにセナ人気を煽って

普通の人がF-1を「エフワン」と読めるようになった時代に比べて、

現在の日本でのモータースポーツ認知度がゼロに等しいほどに落ちたのは

やはりモータースポーツは日本に根づかない良い例かと思います。

更新日時 : 2017年06月04日 | この記事へのリンク : 




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