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さてさて、記憶に残るF-1マシン。第一回はヘスケス308Bです。このマシンはたった一回ですが、このチーム唯一の勝利をあげたグランプリウィナーカーであります。
レーサーはかのジェームス・ハント。レース王国イギリスの大いなる期待を一身に受けていた新鋭。プレッシャーなど、どこ吹く風って感じで意に介さない大胆不敵な野郎。
おおっと脱線、クルマの話でした。
アレクサンダー・ヘスケス卿と言うお金持ちさんが、作ったプライベート・チームがヘスケス・レーシング。初年度は”市販車”マーチを買って参戦して、翌年からオリジナルマシン第一号308を作成して、翌々年にこのクルマを作ってで優勝と順調なサクセスストーリーですなぁ。
デザイナーはかのポッスルスウエイト博士。彼がF-1の世界に名前を轟かすことに成るクルマってことでもあります。
当時は今では”当たり前”のウイング・ノーズと今では”誰も知らない”スポーツカー・ノーズ(代表車は以前本ブログ「記憶に残るドライバー:ブランビラ」の回で取り上げたマーチ751)が混在しておりまして、このヘスケス308Bはスポーツカー・ノーズ+フロントイウングという画期的なアイディアを具現化したマシン。
いや~70年代ですなぁ。このショットはまさに唯一の優勝をとげたオランダGPの時かと思いますが、背の高いインダクションボックス、フロントタイヤへの空気抵抗を減らすせり上がりフロントノーズ、馬鹿でかいリヤタイア、弾丸ミラーなど懐かしいねぇ。
1975年はシーズン中盤からかのニキ・ラウダがGPを席巻しており、そんな時に見事ストップ・ザ・ラウダを果たしたのが308Bとハントなんですねぇ。このレースも2位は数秒差でラウダですから。まあ~最強横綱を倒した小結ってところでしょうか。
この308Bは以後、優勝は無くても表彰台の常連でこの年のチーム順位は4位と参戦3年目のチームとは思えない活躍をしたのですが、アレクサンダーさんのお金が無くなってシーズン終了後1月もしないうちにグランプリ撤退表明!。さてさて、乗るクルマが無くなってしまったハント君ですが、その後マクラーレンから声がかかり、翌年1976年は、ラウダとの死闘を制してなんとワールド・チャンピオンになってしまうから人生分かりません。
なんともドラマチックというか、アレクサンダーさんが「や~メタ!」って言ったから翌年のラウダVSハント対決が実現したんですからねぇ。この対決、来年には映画化だそうですよ「Rush」(監督ロン・ハワード)
http://www.rushmovie.com/ ←こちらです。
さてさて、チームは、他のスタッフにより3年ほど延命しますが、ノーポイント。もちろん、ポッスルスウエイト博士もそんな場所で才能を埋もれさすわけには行かないので”ウルフ”に移籍してかの名車WR-1を制作します。個人的にはWR-1大好きなんで、本来ならば第一回はコレでも良かったんですが、どちらが70年代っぽいかというと308Bだし、1勝しかしていないとか話題性は308かと。それに308BとWR-1似てるんですよね~デザイナーが一緒だから当然ですが~なのでオリジナルは308Bかなぁと。発展系がWR-1ですな。因みにWR-1発表時はコレ。
更新日時 : 2012年09月29日 | この記事へのリンク :