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記憶に残るレーサー:ヨッヘン・マス

え~先日に続いて夏休み中のF-1ネタと言うことで、過去の記憶に残るレーサーその2です。

実は前回のブランビラさんと記録上の共通点があります。それもこの二人以外には存在しない共通点です。(詳しくは後で)

70年代Fー1においてこの方も欠かせない顔です。

ブランビラさんもそうですが、F-1で顕著な成績残せなくても他のカテゴリーではチャンピオンに匹敵する活躍をしてまして、ツーリングカー、スポーツカーでは多くの勝利を飾っております。

とは言え、あまたのF-1ドライバーの大半が未勝利(日本人も全て)の中で1勝でもできたらそれはそれで素晴らしいことかと思います。

この方、1975年に最初で最後の優勝をしております。ただ、レースが事故で途中中断して走行距離が半分以下だったので、点数が半分。どこかで聞いた話だなぁと思った方、前回の話をよく覚えてらっしゃる。ブランピラさんも同じなんですねぇ。1975年に生涯唯一のF-1GP優勝を飾るも点数半分。こんな共通点他には居ません。だいたい優勝する実力がある人はたった1勝で終わらないのが普通かと思うんですよ。(もちろん、先ほどのお二人が実力がないと言っては居ませんが)つまり1勝で終わる人って珍しい。それでもって個性派じゃないかと。

70年代に生涯1勝で終わった方を思いだすと

ピーター・ゲシン・・・・1971年イタリヤ~生涯獲得ポイント11点の内、この時の優勝が9点ですからあとは2点のみってのはいかにも”まぐれ”っぽいですが、この時の記録としてレース平均速度242km/hは以後32年間更新されず、1位と2位の差0.01秒差、1位から5位まで0.6秒差の歴史に残るレースでした。F-5000と言うフォーミュラーレースで活躍、F-1優勝の4年後の日本GP(F-2000で行われた当時の国内最高峰レース)に来日して出場したものの振るわず。昨年亡くなったんですよねぇ~。プレイ・ボーイとしても有名。この人も記憶に残る個性派ですな。

J.P.ベルトワーズ・・・・1972年モナコ~60年代から活躍も、色々ありましたてキャリアの下り坂かなって頃の雨のモナコでのぶっちぎりでした。当時のフランス人ドライバーではNo.1かと。スポーツカーレースでも活躍。二輪からの転向でやはり異彩を放つ個性派かと。

F.セベール・・・・1971年アメリカ~2年後の事故がなければ1勝で終わらなかったはず。未来の世界チャンピオンと言われた。

カルロス・パーチェ・・・・1975年ブラジル~同じく2年後の事故がなければ・・・。

の他は先の二人にしか居ない。

マスは在籍時代チャンピオンを2度も排出したマクラーレンにいて通算1勝ですから、まあ~ナンバー・ツーがポジションだったんだろうかと思います。

しかしながら、ラウダの事故で有名な1976年ニュルブルクリンクのレースでは、タイヤの読みがずばり当たってぶっちぎりでトップを走っていたのにラウダが事故って再レースになってしまい、地元での優勝をし損なったとか、惜しいレースがいくつかあったかと思います。

がっしりした体躯は屈強なスポーツマンって感じで、どちらかと言うとなよっとしたドライバーが多いF-1レーサーの中で目立っておりました。

その後の走らないマシン~アローズ~でもパトレーセ(F-1通算6勝)といい勝負したり、実力はありそうなのにポカが多いとか。まあ~F-1に限ったことなんで、ポルシェでのイクスとのコンビ、メルセデスのCカーで活躍など、F-1以外では素晴らしい成果をあげたかと思います。また、かのシューマッハーにメルセデス時代レースのいろはを教えた先生としても有名。

これは唯一の優勝を飾った時のショットです。背の高いインダクションボックスが印象的です。

更新日時 : 2012年08月07日 | この記事へのリンク : 

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