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1979年GC最終戦より「1枚の写真」

 

懐かしのレースを「1枚の写真」で語るシリーズ、第一弾。

1979年の富士グランド・チャンピオン・シリーズ最終戦です。

当時、日本で最も人気を誇った富士GCシリーズのチャンピオン決定戦に中坊が単身乗り込んできました。

1979年というとレギュレーションが変わり、

単座席(シングル・シーター)レーシングカーの参加が認められました。

当時はタイヤむき出しのフォーミューラーカー以外のレーシングカーは2座席が当たり前でした。

スポーツカーとも呼ばれ、市販車の延長と考えられていました。

それが、

アメリカのカンナム・シリーズが単座席車オーケーな

レギュレーションである程度の成功を収めたので、

日本のシリーズが追従した形になりましたが、

大きな目的は当時人気を増してきたF-2シリーズ

(F-1のすぐ下のカテゴリー。

簡単に言うとF-1の次に速いレーシングカー)参加マシンとの

シャシーの共通化で

スピードアップとコスト削減を狙ったルールです。

結果的には、その後のF-1ブームにより、

F-2シリーズ(F-3000)の方が隆盛となって

GCシリーズは消滅しました。

さて、

その1979年のシリーズは実に見ごたえのある展開となりました。

当時、日本一早い男と言えばご存知星野一義でした。

前年はGCもF-2もチャンピオンを奪取して名実共に日本一

でしたので、この年も本命でした。

GCについての星野のライバルはロータリー勢で

マツダと言えばこの人有りきの片山義美をはじめ、弟の従野、

Mr.ルマン寺田陽次郎、Mr.GCの高原敬武と錚々たる面子がロータリー・ユーザーでした。

その中でも片山義美は大本命だったんですが、

年間4戦しかないシリーズでトラブルが頻出して、はやチャンピオン戦線から脱落。

変わっての本命が後のF-1ドライバー中嶋悟。

まさにダークホースで、シリーズ第一戦を棚ぼたで勝利すると、

順調にポイントを重ね最終戦をポイントリーダーで迎えました。

片や星野も第二戦をモノにしたものの

昨年のマシンの改良版では、戦闘力的に苦戦を強いられ、

この最終戦の予選で大クラッシュに見舞われるなど、

ポイント的にチャンピオンの可能性は残していたものの、

他力本願的な感じでした。

ちなみにこの最終戦は元々予定されてた日が

大雨で延期されて開催された経緯があり、

そのままの日で開催がなされていたら星野は出場できませんでした。

 

で、やっと写真の話です。

正面はロータリーの御大片山義美の車です。 

本体とリヤカウルを別々に運ぶ必要があるのか?

と思いますが、

スタートギリギリまでエンジン調整していました。

予選ではブッチギリのポールポジションで、

このレースもブッチギリで制しています。

右の赤い車はロータリー(マツダ)ではないですが、

広島出身、2年後のGCチャンピオン藤田直広のサンダーLMです。

レギュレーションの目的を具現化しようなマシンで、

カウルを交換したらF-2マシンにコンバートできる代物でした。

F-2マシンはGCマシンに比べると明らかにコーナーリング性能が

高いのが売りでしたが、

どうもこのマシンはストレートスピードに分があったようで、

本来の性能を引き出すのが難しったようです。

結果1年で姿を消しましたが、

その姿は記憶に強く残るものでした。

このレース、この1年のうっぷんを晴らすような片山義美の独走で終わりましたが、

中嶋悟が2位に入り見事チャンピオンをゲットしました。

その後、中嶋悟はCGシリーズには5年間参戦しましたが、

シリーズ順位は2位が最高でした。

更新日時 : 2018年06月03日 | この記事へのリンク : 

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