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往年のワークスドライバー片山義美さんがなくなりました。
前がサバンナで後ろがカペラ。
ほぼ、ロータリーと共に歩んだレース人生でしたが、F-2にも乗ったし、ポルシェ956もドライブしたりと多彩な名手でした。
自分が特に記憶深いのは、やはり富士GCシリーズでしょうか。
忘れもしない、1979年のGC最終戦、人生で初めて見に行ったレースです。
このレースで片山さんはぶっちぎりで優勝しました。
当時、星野一義さんの大ファンだったんで、富士GCにおいて星野の最大のライバルは片山さんでした。
前年のチャンピオンは星野さんで、選手権2位は片山さんでした。
しかし、この年だけレース順位に対する付与ポイントが変更になり、従来のポイント制だとチャンピオンは片山さんでした。
圧倒的な速さを誇りながら、不運としか言いようのない事がかさなり、結局GCのチャンピオンにはなれませんでした。
当時、最も人気があり、国内最高峰と言われたGCシリーズのチャンピオンに片山さんも高橋国光さんもなっていないというのはその実力からすると無冠の帝王という言葉で終わらせるにはもったいない歴史の綾というか、記憶に残る”事件”って感じです。
さて、その1979年のGCシリーズは車両規定に歴史的な大変革がありました。
ソレまでの2座席レーシングカーのみから単座席レーシングカーの参戦を認めました。
重量配分や同じエンジン搭載のF-2からのシャシー転用などそのメリットは多大で、ほとんどのトップドライバーは初戦から単座席でエントリー。
しかし、シリーズ序盤は初期トラブルの雨あられで、純然たる単座席モノの優勝は第3戦目まで待つことになります。
その第3戦目の片山さんのマシンがコレ。
後ろにライバルの星野さんがいます。
このレースではレースの大半をトップ走行してたのに、給油のピット作業において給油タンクをつけたまま走りだすというトラブルでペナルティを受けて脱落しました。
これは見に行った最終戦。後ろが長谷見さんで、3台目が後にF-1に乗る中嶋悟さんですね。
これ、自分が撮った写真。
リヤカウルが外れているのは珍しいカットかと思いますが、片山さんの写真はこれだけでした。
後ろの赤いマシン、サンダーLMの方が記憶に残るマシンですな。
細身でスラっとした体に昭和の頑固親父な風貌の片山さん。
正に野武士って感じでした。
ご冥福をお祈りします。
更新日時 : 2016年04月10日 | この記事へのリンク :